●みかん農家になるなんて思いもしなかった青春時代
私たち夫婦はもともと熊野市出身ではなく、他の地域から移住してきた新規就農者です。
園主の鈴木翔(スズキショウ)は三重県四日市で生まれ。コンビナートと煙突、タンカーの入る海を見て育った私の高校時代の夢は建設関係の仕事に就く、もしくは建築家になることでした。その当時には将来農業をするなど夢にも思いませんでした。
岐路となったのは受験時代。私は大学受験に失敗し1年間浪人します。周りの同級生に遅れをとり、みんなの後輩として同じ大学生になるのがとても悔しかった自分は、思い切ってみんなが知らない、または経験できない、真似できない、そういったフィールドで勝負したいと考えるようになり、希望進路を自分の興味も知識も一切無かった農学部、しかも日本で唯一酪農学部のある北海道の酪農学園大学へ変更、そして入学します。
●大学で農業を学び、やりたいことが見えてきた
ただ大学へ進学する為だけの中学・高校生活を送っていた自分にとって、ツナギを着て大学の農場で作業する実学重視の授業が毎日楽しく、新鮮でした。すぐに自分の新しい夢は「農業を仕事にしたい」に変わり、大学の友達とは毎晩のように「農業で大成したい!」と盛り上がっていました。
最初は酪農がしたいと考えていましたが、そのうちに地元で農業をしたいという想いが強くなりました。
●熊野の土地へ移住を決意
大学卒業後、三重県でどんな農業が出来るのだろうと、自分なりに探した結果、熊野市でみかん作りと新規就農者の募集をしていることを母のアドバイスとホームページから知りました。
思い切って熊野市に電話してみると、「熊野市を選んでいただいてありがとうございます。」と言われ、具体的な話がしたいのでいつこられますか?と聞かれました。自分の中ではここでほぼ決まっていたと今になると思います。いろんなところで話を聞きに行く中で、金も無いくせに農業なんて!とかやる気がないならこっちから切るから!など言われ、嫌な思いをすることも結構あったので、熊野市の対応にびっくりしました。
その後熊野市の農家さんのところで1年間研修を受け、多くの方の協力を得て、2010年、みかん農家としてスタートをきることができました。
●熊野の自然と人に育てられた私たち家族
最初、夫婦2人だけで知らない街、知らない農業の技術や知識にとまどうことばかりでした。しかし、
たくさんの熊野の人たちに支えられたおかげでみかんの知識や技術を磨くことができ、私たちが目指すみかん作りを行えるようになりました。
はじめは二人で始まった熊野生活ですが、今では3人の子供と猫と犬と共に賑やかに過ごしています。
みかんの木が熊野の風土に育てられたように、私たち家族も同じ環境で日々、育ててもらっています。
ホーム ・ 美味しさへのこだわり ・ 栽培品種 ・ 翔真果樹の歩み ・ 購入方法